1954 長崎生まれ
長崎の離島、平島というところで生まれ、5つの時に崎戸という所に移りました。ここは炭坑町で、越した時は人であふれ、それはもうとても華やかでした。ところが、小学生の時に一鉱の閉山、中学の時に二鉱が閉山となり環境は一変します。螢の光とともに、大勢の友だち、その家族が島を去っていきました。やがて、残された炭住群、炭坑の施設が少しずつ崩壊を始め、3年とたたないうちに街は廃虚と化してしまいました。私が、永遠に続く繁栄というものを信じられないのは、このような経験によります。この町の出身者に作家の井上光晴氏、劇作家の野田秀樹氏がいて、特に井上氏の著作はほとんどこの町が舞台になっています。
1979 鴨居 玲氏に師事
大学を卒業した私は、さて今後どうしたものかと思案に暮れておりましたが、たまたま立ち読みしていた美術雑誌に、鴨居玲氏帰国の記事を見つけ、とるものもとりあえず、神戸に行くことに決めたのです。無茶な話ですが、この時、先生との面識も無ければ、仕事のあてもありませんでした。ただひたすら、鴨居玲に会いたい、一緒に酒を飲めたらという思いだけでした。たくさんの事を教えてもらいました。酒の飲み方も教えてもらいました。貴重な財産です。
1979-
神戸に『蛸の壷』という明石焼のお店があります。神戸風のたこやきのお店なのですが、昔から文化人のたまり場として有名です。ここで十数年アルバイトをしていました。このお店の主人というのがとても魅力的な人で、それを慕って多くの人々が集まって来ていました。後に私の仲人さんになってもらうのですが..。このお店で働きながら先生のアトリエにかよい、色々な団体展に出品していましたが結局どの団体にも属さず、今だに無所属です。試行錯誤しながら85年初めての個展を開催し、先生にも少し認めてもらえるようになったかなと思った矢先、先生が亡くなりました。言葉にならないぐらいショックでしたが周りの人にも励まされ、この後2回連続で個展を開きました。87年の個展の時には安井賞展に推薦していただき、なんとか入選を果たしたのですが3年連続の個展開催に少し疑問を感じたのと、この年子供が生まれたこともあって、この後しばらくは作品を発表していません。そして大震災です。私が住んでいた所は被害は少なかったのですが、様々な事情から九州に帰ることになりました。今は大分県に住んで、少しずつですが活動を再開しています。

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ま、どーでもいいことなんですけども。
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