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暗譜

 最近私がお付き合いしている音楽仲間は御年配が多いせいか、暗譜が出来ないという声をよく耳にする。確かに歳を重ねるにつれ記憶力が減退してゆくのは確かだ。小さい頃は流行歌など数回聴けば歌うことができた。人の名前も商品名も一度で覚えられたものだ。そんな丸暗記の能力はどんどん失われてゆく。それはそう。それが自然。人が人生の最後を迎える時、あまりにもいろんな事を記憶していてはこの世への諦めがつかないではないか。忘れてしまうこと。もがき苦しむことなく平和な死を迎えるための、これが神の優しさだ。しかし、だ。演奏者が曲を暗譜出来るかどうかは、これとは少し違うのではないか。

 楽譜をじっとながめて暗譜する。楽器にはさわらずに。世の中にはそんな人もいるらしいが私にはそんな能力はない。これは、本を丸ごと暗記するのと同じことで、記憶する力だけの問題だ。音符は生まれた時から使っている日本語とは違うので、外国語の本の丸暗記に近いかもしれない。しかも声に出さずに目で読むだけで、ということになるだろう。これは想像しただけで難しいことだ。この能力なら歳とともに確実に減退してゆく。記憶力だけの問題だからだ。

 しかし、楽器を弾きながらの暗譜はこれとは違う。頭で覚えるというよりは身体で覚えるという方が正しいように思える。楽譜を見ながら演奏する時、眼からの情報は頭を経て指に至るが、実は初心者、あるいは難しい譜読みを必要とする部分は別として、ほとんどの場合頭は通過ポイントに過ぎぬ。いちいちドとかファとか考えてはいないのだ。もっとグラフィカルに楽譜を見ている。眼から指に直接伝達されていると言ってもいいほどだ。それでなければ初見演奏など出来ない。眼と指と耳が三位一体となって演奏をする。覚えなければならないのは弾くべきポジショニングと移動のタイミングであり、これはスポーツに近い。身体で覚えるという由縁である。

 スポーツであれば集中した繰り返し練習が必要である。繰り返すことで身体に反応として覚えさせてゆく。能力の高い人は別として、凡人はあまり複雑な動きを一時には覚えられないので、一回で覚える動きは極力減らす。最初の1フレーズだけ、あるいは1小節、その半分でもいい。繰り返して身体に覚えさせる。覚えた自信があれば次のフレーズを同じようにして覚える。覚えたら最初からそこまで繰り返す。ただこれを続けるだけでいいのだ。覚えてしまえば、後は練習練習。練習あるのみ。身体が曲全体を飲み込んでしまうまでね。

 おまけ。演奏会本番直前に不安を解消しようとして、頭の中で指使いを思い出そうとするが数小節でわからなくなる。霧の中。よりいっそうの不安に落ち入る。これはよくあるパターンだが心配はいらぬ。頭で覚えていないのだから頭では思い出せない。当たり前。弾き始めれば自然に身体が思い出してくれる。最後まで行きつくかどうかは練習の量と質によるけどね。

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