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アトリエ

 アトリエというのは絵描きにとっての戦場ですから、人によっては家族でも立ち入り禁止だったりします。制作途中の絵を見られることを極端に嫌う人もいますからね。先生の場合はわりとオープンだったのでしょうか、他の人は知りませんが私は頻繁に出入りしていました。
 先生のアトリエは2階にあって、約30畳の制作用のアトリエと20畳ほどの準備室が板戸で仕切られていました。アトリエ部分は壁、天井ともに白く塗られ、上の方まで描きかけの絵が無造作に架けてあります。床には2つの大きなイーゼルと絵具箱、パレットを置くためのテーブル、筆入れの壷、モデルさん用のソファーに等身大のマネキンなどが一見無秩序に置かれてありました。イーゼルも床のカーペットも滴れ落ちた色とりどりの絵具で見事に汚れ、その闘いの凄まじさを伺わせましたが、私が最も驚いたのはテーブルに置かれたパレットでした。

 長さ80cmほどの卵形のパレットは、真ん中の絵具を混ぜ合わせるための僅かな空間以外、高さ5、6cmもあろうかという絵具の層になって固まっており、それだけでも立派な造形作品と言えるほどの存在感を示していました。はたして何kgぐらいの重さになっていたのでしょうか。あとでわかったことですが、新品のパレットを使い始めてからこの状態になるまで僅か2年なのです。これは凄いことです。これらのパレットにはその後サインと絵が描き込まれて日動画廊などに引き取られ公開されていますので、展覧会で御覧になられた方もいらっしゃることでしょう。ただ私がアトリエで見た時には、パレットの上にはもみ消したタバコの吸い殻も一緒に散らばっていましたが。

 隣りの準備室の方には、出番を待つキャンバスや絵具などが大量に保管されており、その一部は部屋からはみ出して廊下にまで達していました。画家のエネルギー量がそのまま形になったような準備室です。
 この部屋の奥まった壁にひっそりと一枚の絵が架けられていました。「夢候よ」です。驚きました。この作品こそが、長崎の本屋で私が初めて目にした先生の作品だったのです。評論家の坂崎乙郎氏によると、この作品はあるコレクターの保管中に失火に遭い、作品の表面を炎が舐めたために著しく傷み、それを悲しんだ先生が買い戻したということです。その周辺の事実関係は確認していませんが、私の見る限りこの作品こそが鴨居先生の最高傑作であり、先生の思い入れもひときわ強かったのだと思います。修復された作品は残念ながら制作時の輝きを失っていましたが、その後先生が亡くなるまで、傍らから静かにその仕事ぶりを見続けていたことでしょう。


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